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No.130 生産的な仕事がもたらすもの
2024-11-15
「あー、やってられない」
仕事をしていて、そのように思ったことはありますか?
企業経営に従事し、経営コンサルティングを業とする私も、実は、そのような気持ちになる時があります。
一つは、意義の感じられない会議に参加している時。
脱線が多かったり、そもそも目的が不明確だったりする長時間の会議だと、正直、早く終わらないかなあ、帰りたい、と思ってしまいます
(可能な時には仕切りだしますが…)。
お客さまの会社でもあります。
例えば、社員が急に退職してしまった時に、「災い転じて福と為せ!」とばかりに
仕事をしていて、そのように思ったことはありますか?
企業経営に従事し、経営コンサルティングを業とする私も、実は、そのような気持ちになる時があります。
一つは、意義の感じられない会議に参加している時。
脱線が多かったり、そもそも目的が不明確だったりする長時間の会議だと、正直、早く終わらないかなあ、帰りたい、と思ってしまいます
(可能な時には仕切りだしますが…)。
お客さまの会社でもあります。
例えば、社員が急に退職してしまった時に、「災い転じて福と為せ!」とばかりに
業務改善を兼ねて代役を務める場合です。
業務改善を進める際には、業務の目的を達成するために、
業務改善を進める際には、業務の目的を達成するために、
問題が生じていて改善しなければならないポイント、残すべきポイント、
コストや改善スピード・改善に要する労力を考慮すると残さざるを得ないポイントなど…、
業務の全体像をとらえ、問題と課題を整理する必要があります。
それには、実際にその業務を行ってみるのが手っ取り早いのですが、それなりに時間がかかります。
さらに、代役でもありますから、現在進行中の業務を停滞させるわけにはいきません。
そうすると、非効率だなー、生産的じゃないなーと思いながらも、
それには、実際にその業務を行ってみるのが手っ取り早いのですが、それなりに時間がかかります。
さらに、代役でもありますから、現在進行中の業務を停滞させるわけにはいきません。
そうすると、非効率だなー、生産的じゃないなーと思いながらも、
しばらく従前の業務プロセスを続けざるを得ません。
業務に必要な情報が明文化されていなかったり、散逸していたりして、
業務に必要な情報が明文化されていなかったり、散逸していたりして、
代役をこなすのにも一苦労、最初は改善どころではありません。
そんな時にわきあがってくるのが
「あー、やってられない」、なのです。
私にとっては、業務改善のため、今だけだと分かっていても、です。
そして、そんな時、急に退職した社員のことが頭をよぎります。
彼も彼女も、「あー、やってられない」と思ったのだろうなあ、と。
(もちろん、だからといって急に辞めていいということではありません。
最低限、引継ぎはしようよーと心から思います)。
そう、やっていて気持ちが落ち込むのです。
なぜか。
それは、人生を無駄にしている気持ちになるからです。
意味のない仕事に時間やエネルギーを投入して、
そんな時にわきあがってくるのが
「あー、やってられない」、なのです。
私にとっては、業務改善のため、今だけだと分かっていても、です。
そして、そんな時、急に退職した社員のことが頭をよぎります。
彼も彼女も、「あー、やってられない」と思ったのだろうなあ、と。
(もちろん、だからといって急に辞めていいということではありません。
最低限、引継ぎはしようよーと心から思います)。
そう、やっていて気持ちが落ち込むのです。
なぜか。
それは、人生を無駄にしている気持ちになるからです。
意味のない仕事に時間やエネルギーを投入して、
ただ疲れるばかりで、見合う価値を生み出せていない、と。
自分がすり減らされていく、消耗していくような感じがするのです。
そのような時に私は、業務をどのように改善したいか、改善したらどうなるかと考えます。
そうすると気持ちが楽になります。
仕事が価値を出していけるようになること、そのような仕事に変えていくことに、
自分がすり減らされていく、消耗していくような感じがするのです。
そのような時に私は、業務をどのように改善したいか、改善したらどうなるかと考えます。
そうすると気持ちが楽になります。
仕事が価値を出していけるようになること、そのような仕事に変えていくことに、
自分が仕事をする意義を感じられるからです。
ですから、何かうまくいかないことがあると、改善策を考えることがクセになっています。
むしろ、考えずにはいられません。
業務改善が救い、希望になるのです。
以前のブログ記事にも書いたことがありますが、ドラッカーの言葉に
「企業は生産的な仕事を通じ、働く人たちに生計の資、社会との絆、自己実現の場を提供する」
というものがあります。
これは、
「働く人は、非生産的な仕事から、生計の資、社会との絆、自己実現の場を得ることはできない」
と言い換えることができるでしょう。
人は意味のあることをしたい、価値あることをしたいと思うものであり、
ですから、何かうまくいかないことがあると、改善策を考えることがクセになっています。
むしろ、考えずにはいられません。
業務改善が救い、希望になるのです。
以前のブログ記事にも書いたことがありますが、ドラッカーの言葉に
「企業は生産的な仕事を通じ、働く人たちに生計の資、社会との絆、自己実現の場を提供する」
というものがあります。
これは、
「働く人は、非生産的な仕事から、生計の資、社会との絆、自己実現の場を得ることはできない」
と言い換えることができるでしょう。
人は意味のあることをしたい、価値あることをしたいと思うものであり、
働く人においては「生産的な仕事」によって実現される、ということですね。
生産性は、算出(アウトプット)÷投入(インプット)で計算されます。
生産的であるということは、インプットより大きなアウトプットを出しているということです。
生産的であることは、国としては生活水準を維持向上させるために、
生産性は、算出(アウトプット)÷投入(インプット)で計算されます。
生産的であるということは、インプットより大きなアウトプットを出しているということです。
生産的であることは、国としては生活水準を維持向上させるために、
企業としては存続・発展していくために必要なわけですが、
それだけでなく、働く人にとっても、生活や他者とのつながりを得るとともに、
自己の存在意義を感じるためにも重要なのです
(そして、企業は仕事を生産的にしなければなりません。
そうしないと、企業の価値を生み出していく「働く人」を企業に引き付けることができず、
(そして、企業は仕事を生産的にしなければなりません。
そうしないと、企業の価値を生み出していく「働く人」を企業に引き付けることができず、
現在も将来的にも企業として価値を生み出していけない=利益を出していけない、
という負のスパイラルに陥ってしまいます)。
そんなことで、業務改善により生産性を高めていくことは、
そんなことで、業務改善により生産性を高めていくことは、
企業にとってだけでなく働く人にとっても望ましいことなはずなのですが、
一方で、業務改善はうまく進むとは限りません。
それは、なぜなのか。
次回の記事(12月16日更新予定)に続きます。
それは、なぜなのか。
次回の記事(12月16日更新予定)に続きます。